


佐々木会長(以下、佐々木):カシオ労連は、15年6月で結成30周年を迎えることができました。ぜひこのタイミングで、組合員の皆さんに社長の想いやビジョンを発信していただきたく、このような場を設けさせていただきました。
カシオ計算機は、忠雄氏、俊雄氏、和雄氏、幸雄氏の4兄弟ではじめられたわけですが、和雄社長は営業担当と、4人がそれぞれの持ち場で活躍されていたのですよね。
樫尾社長(以下、樫尾):そうです。会社が設立した当時は、"電卓戦争"と言 われた時代。そのなかで私は、営業としての自分の役割は何かと考えました。そして、どう営業展開するかより、"どんな商品をつくったらこの業界で勝てる か"という発想をもつに至ったわけです。それからは、開発事業部との打ち合わせに注力しました。当然のことながら、商品がよければ売れるし、悪ければ売れ ません。すなわち、いいものを開発すれば会社の業績は上がるし、できなければだめになるということ。その考えは、今日までずっともち続けています。
佐々木:カシオの"売れるものづくり"は、開発と営業が二人三脚でやってこられたものと感じています。そのなかでも、一番印象に残っている商品は何でしょうか。
樫尾:やはり『カシオミニ』ですね。当時、計算機は事務用に使われるものでしたが、我々はそれを一般にも広く使ってもらおうと考えました。その発想が、ほかの企業にはなかったのです。これは、カシオが電卓戦争に勝った最大の要因と言えるでしょう。
大事なのは、世の中の流れを読み取ること。常に先を見ることが創造力の源泉です。新たな製品をつくり、皆さんの役に立つ。それが、我が社の経営理念である"創造と貢献"の意味。貢献なくして、会社は成長しません。
佐々木:社会貢献を明確にテーマに表していることを、いち社員として誇りに感じています。
私はちょうど和雄社長が就任されたときに、営業職としてカシオ計算機に中途入社しました。ですから、社長とは同じ営業畑で、ともに歩んできたと思っています。社長になられた当時の心境はいかがでしたか。
樫尾:もともと兄弟4人が、それぞれ社長の気持ちで自分の持ち場を担当してい
たので、大きな心境の変化はありませんでした。しかし、やはり経営者として、"自分の責任でどう業績を伸ばしていくか"、"大勢の社員といかに協調してい
くか"という2点は改めて意識し、重視しましたね。
私が経営のポリシーとして掲げているのは、"創造する価値"です。価値の少ないものを創造しても、事業になりません。一過性ではなく、いかに長く愛され
る商品をつくるかが重要です。これまで価値ある商品を生み出すまでに、たくさんの失敗がありました。しかし、その失敗を通して、何が価値あるものか、わか
ることもあるのです。
佐々木:今は好調なデジタルカメラも、最初から成功したわけではありません。失敗するという経験があったからこそ、数年後に新たな商品が生まれたのです。
カシオミニで業界の裾野を広げたのと同じように、それまでプロ仕様だったデジカメを一般が使えるようなつくりにしたほか、プロジェクターを使ったサイネージやカシオアート、リスト端末など、社長が陣頭指揮をとってこられたものは挙げたらきりがありません。